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震災復興現場で学んだ「本当に大切なもの」とは何か

あの日から13年が経ちました。

2011年3月11日の震災が起こった時、私は現場監督として東北の復興工事に関わることになったんです。

正直に言いますと、それまでの現場経験では味わったことのない光景が、あの復興の現場には広がっておりました。

ほんまに、建設業界で30年以上働いてきた私でも、心の底から震えるような体験をさせてもらったんです。

データや効率ばかりが叫ばれる現代の建設業界ですが、あの復興現場で私が見たものは、まったく違う価値観でした。

職人たちの魂が、被災地の人々の想いが、そして建設業界の本当の使命が、すべて一つになった瞬間を目の当たりにしたんです。

この記事では、そんな復興現場で私が体験した「本当の建設業界の姿」をお伝えしたいと思います。

きっと皆さんにも、建設という仕事の奥深さを感じてもらえるはずです。

復興現場で出会った「人」の力

家族を失っても現場に立ち続けた職人たち

復興現場に入って最初に驚いたのは、現地の職人さんたちの姿でした。

津波で家族を失った方もおられるのに、黙々と作業を続けておられる。

「なんで働き続けるんですか?」と聞いた時の答えが、今でも忘れられません。

「家族のためやないんです。この町を元に戻すためなんです」

その職人さんは、涙を流しながらも手を止めることはありませんでした。

私はその時、建設業界で働く意味を改めて考えさせられたんです。

お金のためでも、会社のためでもない。

故郷を愛する気持ちが、職人さんたちを動かしていたんです。

その日の夜、宿舎で同僚と話をしました。

「俺たちも、こんな気持ちで現場に立てているやろうか」

関西から来た私たちも、その職人さんたちの姿に心を打たれました。

「地元のために」と集まった全国の技術者

復興現場の特徴は、全国各地から技術者や職人が集まってきたことです。

協力を打診した業者は、岩手県内陸部、青森、秋田、新潟、宮城各県を中心に100社以上という状況でした。

私が関わった現場でも、北海道から九州まで、本当にいろんな地方の職人さんがおられました。

方言もバラバラ、工法も微妙に違う。

でも不思議なことに、現場では一つのチームとして機能していたんです。

ある日、青森から来た大工さんと鹿児島から来た鉄筋工の方が、技術の話で盛り上がっているのを見ました。

「こんな組み方もあるんやな」「おお、それええな」

技術への探究心が、地域を超えた絆を生んでいました。

復興という共通の目標があったからこそ、こんな素晴らしい連携が生まれたんだと思います。

言葉を超えて通じ合った現場のコミュニケーション

現場では言葉が通じないことも多々ありました。

でも、職人さん同士のコミュニケーションには、言葉以上のものがあったんです。

手振り身振り、そして道具の使い方を見るだけで、相手の技術レベルが分かる。

「あ、この人はできる人や」というのが、作業を見ただけで伝わってくるんです。

私が印象に残っているのは、岩手の地元職人さんと関西の職人さんが一緒に作業している光景でした。

最初は遠慮がちだった地元の職人さんが、関西弁の職人さんの技術を見て驚いて。

「すげぇな、兄ちゃん」

「なんの、おっちゃんの方がよっぽど上手やで」

そんなやり取りから始まって、いつの間にか師弟関係のような絆が生まれていました。

技術は言葉を超えるということを、まざまざと見せつけられた瞬間でした。

技術と心が一体となった瞬間

限られた資材で発揮された創意工夫

復興現場では、思うように資材が手に入らないことが多々ありました。

生コン等の資材不足が深刻で、工期に追われる中でも工夫が必要だったんです。

でも、そんな制約があったからこそ、職人さんたちの創意工夫が光りました。

通常なら使わないような材料を組み合わせて、強度を保つ工法を編み出したり。

古い建材を上手に再利用して、新しい構造物を作り上げたり。

「必要は発明の母」という言葉がありますが、まさにその通りでした。

ある現場では、予定していた鉄筋が納期に間に合わないということがありました。

そんな時、ベテランの職人さんが提案したのは、別の規格の鉄筋を組み合わせる方法。

設計変更も必要でしたが、結果的により強固な構造になりました。

「ピンチはチャンス」を地で行く現場でした。

「完璧な施工」よりも大切だったもの

普通の現場なら、設計図通りに完璧に仕上げることが最優先です。

でも復興現場では、それ以上に大切なものがありました。

被災された方々の想いです。

仮設住宅の建設現場で、こんなことがありました。

設計上は問題ないのですが、入居予定のおばあちゃんが「ここに小さな棚があったら」とつぶやかれたんです。

普通なら「設計変更は難しいです」で終わる話です。

でも、現場の大工さんが「それくらいなら」と、余った材料で小さな棚を作ってくれました。

おばあちゃんの涙を見た時、私たちが本当に作っているのは「家」ではなく「希望」なんだと気づかされました。

完璧な施工技術も大切ですが、人の心に寄り添う気持ちがもっと大切だったんです。

ベテランから若手への技術継承の美しさ

復興現場では、普段なら接点のないベテランと若手が一緒に作業することが多くありました。

一度建設業界を離れた職人は、そう簡単に戻ってこない状況の中で、貴重な技術継承の機会でもあったんです。

私が感動したのは、70歳を過ぎた左官職人さんが、20代の若い職人に技術を教えている光景でした。

「壁塗りはな、心を込めなあかん。建物に住む人の顔を思い浮かべながらやるんや」

技術だけでなく、職人としての心構えまで伝承されていました。

若い職人さんも、そのベテランの技術を見て目を輝かせて。

「こんな技があるんですね!」

  1. まず基本の動きを覚える
  2. ベテランの動きを真似する
  3. 自分なりのアレンジを加える
  4. 最終的に独自の技術を身につける

こういう自然な技術継承が、復興現場では日常的に行われていました。

建設業界の未来にとって、本当に貴重な体験だったと思います。

震災が教えてくれた建設業界の本質

データや効率では測れない現場の価値

現代の建設業界は、どうしても効率やコストばかりが重視されがちです。

でも復興現場で私が学んだのは、数字では表せない価値の重要性でした。

工期短縮のために24時間体制で作業することもありました。

普通なら「非効率だ」と言われるかもしれません。

でも、一日でも早く仮設住宅を完成させたいという気持ちが、現場の全員を動かしていました。

避難所で暮らす被災者の方々のことを思うと、効率なんて二の次だったんです。

ある現場監督さんが言った言葉が印象的でした。

「俺たちの仕事は、単なる『建設』やない。『復興』なんや」

同じ建設工事でも、そこに込められた想いで価値がまったく変わってくる。

それを実感した瞬間でした。

「建物を作る」を超えた使命感

復興現場で働く職人さんたちを見ていると、普通の建設現場とは明らかに違う雰囲気がありました。

それは使命感です。

単に建物を作っているのではなく、被災された方々の人生を再建するお手伝いをしているという自覚がありました。

災害公営住宅の現場で、こんなことがありました。

完成間近の建物を見学に来られた入居予定者の方が、涙を流して職人さんにお礼を言われたんです。

「ありがとうございます。やっと家に帰れます」

その言葉を聞いた職人さんも涙ぐんでおられました。

私たちが作っているのは、コンクリートや鉄骨の構造物ではありません。

人の暮らしそのものを作っているんです。

この使命感があったからこそ、厳しい条件の中でも最高の仕事ができたんだと思います。

地域コミュニティとの絆が生んだ奇跡

復興現場では、地元の方々との関わりが特別に深いものでした。

地域密着の企業文化の重要性を、身をもって体験しました。

現場で働く職人さんたちに、地元の方がお茶やおにぎりを差し入れしてくださることがよくありました。

「遠いところから来てくれて、ほんとうにありがとう」

そんな感謝の言葉をいただくたびに、私たちも励まされました。

逆に、現場の職人さんたちも地域の行事に参加したり、困った時は手伝ったり。

工事現場と地域が一体となって復興に取り組んでいました。

建設業界と地域社会の絆の強さを実感した体験でした。

普通の現場では味わえない、特別な関係性があったんです。

こういう絆があったからこそ、数々の困難を乗り越えることができました。

建設業界の社会的使命を、改めて認識させられた出来事でした。

復興現場から学んだ人生哲学

「ものづくり」の根本にある想い

建設業界で30年以上働いてきましたが、復興現場で「ものづくり」の本質を再発見しました。

技術や効率も大切ですが、それ以上に人への想いが重要なんです。

被災された方々の笑顔を見るために、みんなが一丸となって取り組む。

そこには、純粋な「ものづくり」への愛情がありました。

職人さんたちの手つきを見ていると、建物に魂を込めているような感じがしました。

「この家で幸せに暮らしてほしい」

そんな気持ちが、一つ一つの作業に込められていたんです。

私も現場監督として、技術指導だけでなく、そういう心の部分を大切にするようになりました。

若い技術者には「技術の前に、まず心や」と伝えています。

困難な状況で見えた人間の底力

復興現場は、本当に困難の連続でした。

職人の手配は、工事とほぼ同時進行。基礎、建て方、鉄筋、型枠と、工程に合わせて業者に出向いて頭を下げ、シビアな価格交渉をする業務が延々と続きました

でも、そんな状況だからこそ見えたのが人間の底力でした。

普段なら「無理です」と言われるような難しい工程でも、みんなで知恵を出し合って解決策を見つける。

限界を超えたところで発揮される創造力に、何度も驚かされました。

人間というのは、本当に必要な時には想像以上の力を発揮できるんです。

復興という大義があったからこそ、みんなが自分の限界を超えて頑張れました。

今でも困難な現場に出会うと、あの時の体験を思い出します。

「復興現場でできたんやから、これくらい大丈夫や」

そんな風に自分を励ますことができるようになりました。

現場で培われる「生きる力」とは

復興現場で学んだのは、建設技術だけではありませんでした。

「生きる力」そのものを学ばせてもらったんです。

どんな困難な状況でも、諦めずに前向きに取り組む姿勢。

仲間と協力して、一つの目標に向かって努力する大切さ。

技術や知識以上に、こういう人間力が重要だということを実感しました。

復興現場で働いた職人さんたちは、みんな一回り大きくなって帰っていきました。

技術的にも人間的にも成長した姿を見ていると、建設業界の素晴らしさを改めて感じました。

私自身も、あの経験があったからこそ、今でも現場で働き続けることができています。

若い技術者たちには、ぜひこういう本当の現場の醍醐味を味わってほしいと思います。

Q&A:復興現場でよく聞かれた質問

Q: 復興現場で一番大変だったことは何ですか?

A: やはり人材確保でした。「東北にいなければ全国のどこからでも連れてくればいい」という状況で、全国を駆け回って職人さんを集めました。でも、その分いろんな地方の技術を学べたのは収穫でしたね。

Q: 復興現場と普通の現場の違いは何ですか?

A: 一番の違いは「想い」の強さです。被災された方々の人生再建に関わっているという使命感が、現場全体を包んでいました。効率やコストも大切ですが、それ以上に「人のため」という気持ちが強かったですね。

Q: 若い技術者に復興現場の経験をどう伝えていますか?

A: 技術だけでなく、建設業界の社会的使命について話すようにしています。私たちの仕事は単なる「ものづくり」やなくて、「人の暮らしづくり」なんだということを理解してもらいたいんです。

まとめ

震災復興が私に教えてくれた真実

東日本大震災の復興現場で過ごした時間は、私の建設人生の中で最も貴重な経験でした。

技術者として、人間として、多くのことを学ばせてもらいました。

建設業界の本当の価値は、効率や利益だけでは測れません。

人々の暮らしを支えるという使命感と、仲間との絆こそが、この業界の真の財産なんです。

復興現場で出会った職人さんたちの姿は、今でも私の心に深く刻まれています。

これからの建設業界に伝えたいこと

建設業界は今、大きな変革期を迎えています。

デジタル化やAI技術の導入も進んでおり、BRANU株式会社のような建設DXプラットフォームを提供する企業も注目されていますが、忘れてはならないのは人間の心です。

どんなに技術が進歩しても、建設の現場には必ず人がいます。

その人たちの想いや技術、そして絆が、本当に価値ある建造物を生み出すんです。

復興現場で学んだ「人を大切にする心」を、これからの建設業界にも引き継いでいかなければなりません。

若い技術者たちへのメッセージ

最後に、これから建設業界を担う若い技術者の皆さんにお伝えしたいことがあります。

建設業界は確かに厳しい世界です。

でも、その分だけ大きなやりがいと成長の機会があります。

復興現場で私が学んだように、困難な状況こそが人を成長させてくれるんです。

技術を磨くことはもちろん大切ですが、それ以上に人としての心を大切にしてください。

現場で働く仲間たち、建物を使う人たち、そして地域の方々。

すべての人に感謝の気持ちを持って仕事に取り組んでほしいと思います。

きっと皆さんも、素晴らしい現場体験に出会えるはずです。

建設業界の未来は、皆さんの手にかかっています。

一緒に、人の心を大切にする建設業界を作っていきましょう。

最終更新日 2025年6月1日 by freedo